八尊光倫会 聖尊殿堂
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ガン・難病と闘う大法行

聖尊殿堂 御祈願行・御供養行

燃焼と戦慄の大法行

以下の文章は、かつて超霊力者・岩満羅門御聖祖が執筆された、ある日の大法行の様子です。大法行は我々ができるものではなく、目に見えない世界と直結した超霊力者にのみ許される、激しい祈願行です。以下の文章からその様子を、皆様が少しでもうかがい知ることができれば幸いです。

本来、大法行を行う時は、自分の健康状態や体調を整えておくのが普通である。例えば、食事のカロリーは抑え、十分に水分を取っておくことなども大切な準備である。また、自分の意識との戦いもある。普段の生活とはまるで異なる次元に没入しなければならない。日常的な精神状態は切り捨てなければならないのだ。すなわち、異次元の聖霊界に対して、自分の超次元エネルギーがほとばしるように、意識を根底から変えて、準備をしておかなければならない。
このような肉体的、精神的準備には、最低でもまる一日はかかる。理想的には、四、五日かけて、精神状態、肉体状態のコンディションを、自然に大法行に適するように持っていければ最高である。

大法行に入る前と入ってからは、日常的な食事はとらず、最低の体力が維持できるだけの、すりゴマとか、うどんなどを少量食する程度である。あとはひたすら、水分だけをとるようにする。このようにして、肉体的なコンディションと自分の意識を調整し、大法行に適した心身を作り上げ、ある日の深夜から大法行に入っていくのが普通である。

大法行の間は、水も食事もとってはならない。もちろん、人と会うこともできない。なぜなら人と会うことにより、現実世界に自分の意識が戻ってしまうからである。異次元に入って、大法行の法力を引き出そうとしているのに、現実世界に戻ったのでは失敗してしまう。異次元――すなわち、神仏の世界にひたすら入り込んでいくことが、私に課せられた難行苦行である。強烈な集中力によって、一つの魂を救い上げ、その魂を神仏の意にしたがって、変貌させていかなければならない。

夕刻から八時過ぎまで、私は自分の部屋に閉じこもり、ただひたすら瞑想を続け、自分の意識の調整を行った。暖房は切ってあるのに、私は微かに額に汗のにじむのを感じた。その汗を拭き取りながら、ひたすら無念無想の世界に分け入っていく。異次元の聖霊界と同化していくために、自分の意識は、あくまでも透明でなければならない。当然のことだが、病魔の力が強ければ強いほど、自分自身の体力や精神が消耗する。消耗し、燃えつきようとする心と体を、自分の激しい闘争心と念力によって支えるのである。

九時までの五時間、私は、自分の精神の透明度を上げるために、ひたすら瞑想を続けた。
九時を回ってから、私は、自分自身でおよそ百畳の大本堂に、二十数本の灯明をともした。大本堂に揺らめく明かりが、大法行に入る直前の緊張感を高めていた。口の中がからからに渇いた。しかし、大法行に入った瞬間から、一切の水分をとってはならない。そのために、私は今日も瞑想中に、約二リットル近くの水分をとっている。それなのに、口の中が渇く。しかし、これからは、一切水分をとってはならないのである。

大きな大本堂の扉という扉は、すべて密閉された。それまでかすかに揺らめいていた炎が、まっすぐに燃え上がった。私は心の底に激しい決意をしっかりと刻んで、登高座に座った。そして、中央の灯明の炎に視線を向けた。目の中に、燃える灯明の明かりを宿したまま、本尊の聖観音像に自分の意識を直結させ、集中させるように視線を向けた。やがて周囲の灯明の炎が、徐々に大きく見えるようになってくる。そして二十数本の灯明が、まるで一本の火の柱になったように重なり合って見えてくる。炎の輪郭が、非常に大きくなって自分を包む。その炎の柱に自分が吸い込まれ、溶けこんで行くような感覚が生まれてくる。その一瞬をとらえて、私は、大法行の宝号を唱え始めた。

大本堂の中には、言い知れぬ大きな力が張り詰めていく感じがする。その大きな力に自分が飲み込まれ、同化する。私は、大きな力と同化し、その激しい思いで聖観音に働きかける。宝号を唱える声を一段と高める。声を張り上げると、頭が締め付けられるような不思議な感覚に包まれる。

私は、今日の昼に食べた食事以外は、食べ物を一切口にしていない。しかし、空腹感はない。一切の現実的な感覚が、私の中から失われていく。それでも時折、この激しい緊張の時間の中に、実生活におけるいろいろな思いが忍び込み、私の行の邪魔をしようとする。宝号を激しく唱え、念じながら、それを消滅させていく。雑念を取り払い、全く透明な精神状態の中で、自分の念を聖霊界に直結させていかなければならないのである。肉体的にも、現実感と存在感が急速に遠のいていく。高いとか、低いとか、右とか横とかいった現実感が無くなっていく。明らかに、現実の世界から、異次元の世界に入っていく感覚である。何かとてつもなく深い闇の中に、急速に落ちていく感覚である。霊魂が離脱しようとしているのかもしれない。その証拠に、体全体、すなわち、指の先から足の先まで、肉体的な感覚は消え始めている。

もし仮に、現実世界と自分をつなぐ感覚があるとすれば、それは喉が渇くという思いである。激しい渇きである。口の中が粘ってくる。口の中に唾液を集めようとするのだが、それすら、自分の意志を自由にできない。私はもはや、人間として自律的に心身をコントロールできなくなっている。既に私は、異次元の中にあるのだ。いつもの行で感ずるのと同じような、大法行が成功に近づいていく兆しのようなものがある。既に異次元にある私は、通常の人間的感覚で、それをとらえているわけではない。潜在的意識のようなものだ。目の奥の方に、樹がきしむようなギシギシという感覚があり、目の奥に痛みが走る。それは、大法行が成功する時の不思議な兆しである。ギシギシと樹がきしむような感覚は、決して音ではないが、音に近い感覚が自分の意識の中で激しく交錯するのだ。目が痛いのか、こめかみが痛いのか、その感覚は、自分で判断することはできない。とにかく非常に強い痛みがある。頭に大きな鉄のたがをはめられ、それがものすごい力で締め付けられているような感じがするのである。肉体的にも、既に現実感覚はないが、脳の中に、何十本、何百本という細かい針が刺さっていくような感覚がする。これは、大法行が確実に行われている時の感覚である。それは人間の感覚としてとらえた感覚でも痛みでもない。肉体的には無感覚なので、どこかにそのような痛み、苦しみのようなものが発生しているのである。

非常に暗い世界である。二十数本の灯明がともっているはずなのに、真っ暗に近い状態である。今まで、私なりに大法行の世界を再現してみせているが、もちろんこれは、後になって、私がその時の感覚を思い出しながら書いているのである。大法行のまっただ中では、既に私自身がどのような状況の中に置かれているのか思いだす術もない。しかし、なんとか意識の底を掘り起こして思い出し、綴っているのだ。

真っ暗な状態の中で、ただ意識だけがひたすら激しい念を、宝号の中に溶け込ませて、見えない力に向かって投げかけていく。自分の肉体的感覚はないのに、自分が何かを訴え、念じているような感覚がある。そして、現実世界から、ずいぶん遠くへ離れてしまったような気がする。自分の体と意識が分離していくのがわかる。意識は、激しい念と化して、超次元の絶対的力に対し、激しく訴えかけている。

このような状態にあっても、この大法行が成功するかしないかということは、大法行が終わって、現実世界に意識が戻った時に、不思議にはっきりとした予感を感じているのである。

物音一つしない。自分が激しく唱えている大法行の宝号すらも、私の耳には聞こえない。二十数本の大きな灯明が、百畳の大本堂を照らし出しているが、私自身にはその明かりが見えない。漆黒の闇の中にいる私には、光さえも感じない。自分の唱える宝号すらも聞こえない。完全に、異次元の世界である。当然ながら、時間の感覚は越えている。大法行は、午後十時前ぐらいから始まったはずである。私に現実世界の意識があったのは、二時間足らずである。午後十一時を回る頃から、私はすでに現実世界を離れている。以後、数時間は、私は超次元の世界に入り込んでいるのである。

大法行の切り上げは、どういうところで行われるかといえば、やはり不思議な感覚によって、自分の意識の底でとらえられる神秘の力の反応である。こちらの働きかけを受け止めている、ある見えない力の反応に変化が出てくるのだ。既に私自身に、人間感覚、現実感覚といったものがないのだから、それは、あくまでも超次元における、見えざる力とのチャンネルによってもたらされるコミュニケーションの一種かもしれない。こうして第一夜の行は、十分に満足すべきものとして、私は感じた。私は宝号を唱えるのをやめ、静かに現実世界に戻ってきた。現実世界に戻る時は、非常に苦しい。何度も繰り返すように、喉は渇き、全身に冷たい汗がにじんでいる。体が小刻みに震えている。そして少しずつ、私に現実感覚がよみがえってくる。異次元の入口では、二十数本の灯明が一つの火の柱となって、その中に自分が溶けこんでいく感覚があったのに、今度は逆に、大きな火の柱から自分が抜け出して、二十数本の灯明の灯りが一本一本燃えているのを識別することができる。紛れもなく現実世界に引き戻されたのである。現実世界に引き戻された一人の宗教家として、私は改めて、本尊の聖観音に対して宝号を唱える。およそ三十分ほどのお勤めをした後、一日の行が終わる。

第一日目の大法行で、確かな手ごたえがあったのを私は感じた。心の中に、それに対する喜びが湧き出てくる。私の激しい念力によって、魔物のようなものが砕け散っていくような感覚が、私の意識のどこかに残されている。よろよろと立ち上がり、大本堂の扉を開けた。すでに朝が来ていた。職員の何か話している声が微かに聞こえてくる。十時から始まった行が、約十時間近くかかって、第一夜が終わったわけである。私は手ごたえを十分に感じて、重い疲労感の中にも、一片のすがすがしさがあった。職員を呼んで、冷たい水を持ってきてもらう。それを一気に飲み干し、全身を覆う重くやり切れないような疲労感から解放される。

空腹である。しかし、たらふく食事をとるわけにはいかない。少量のゴマ豆腐、とろろのうどん、味噌汁だけをとる。これからおよそ数日間は続く大法行のために、体力を維持する最低の食事だけをとる。そして私は、一切の事務的なことから自分を解き放ち、自分の部屋で泥のように眠る。約四時間眠ると、昼が過ぎていた。そこでまた、少量のうどんや、ゴマ豆腐、それに果物をとる。そして再び、私は部屋に閉じこもり、ひたすら瞑想の時を待つ。夕刻の食事はとらない。水とお茶を飲んで、私の夕食は終わりである。そして、私は再び瞑想の世界に入り、深夜を迎える。そして昨夜と同じように、激しい大法行へと入っていくのである。

二日、三日と続けて、私はこの大法行が成功したという手ごたえを感じた。この感覚は絶対的なものである。今までの体験から言っても、この感覚が外れたことは一度もない。逆に、大法行がついに効力を発揮しなかったという感覚を持つ場合もある。また時には、この大法行が成功しないのではないかという感覚も感じることもある。そんな時は、私自身も名状しがたい絶望感と悲しみに包まれる。今回の場合には、大法行の結果として、成功の感覚を強く感じたのである。この感覚は、曰く言いがたい感覚である。言葉で表現するのは難しい。ただ、確かな手応えといったものが、全身で感じられたのである。

岩満羅門著「ガンを救う奇跡の大法力」より

大法行の方針を決める「人生相談」

このように大法行は、超霊力者・岩満羅門御聖祖のみが可能な、筆舌に尽くしがたい激しいものです。そして、あなたの問題解決のための「大法行」の方針を決めるため、あなたと超霊力者が話し合いをする機会が「人生相談」なのです。

「大法行(御祈願行)」をご希望の方は、その方針や内容を決定するために、羅門御聖祖とお話をなさる「人生相談」が必要です。「大法行(御祈願行)」をご希望の方は、まず「人生相談」をお受け下さい。
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